神戸市須磨区神の谷滝が谷公園のウェブサイト

滝が谷公園ニュース…第10号 2003年10月25日

水やりが要らなかった夏

今年の夏は10年ぶりの長雨、冷夏でした。 例年の夏は週に一度水遣りをやっても、葉を落としてしまう樹木が必ず出てしまうのが

悩みでしたが、今年は遂に一度も水遣りをせず、それでも葉を落としてしまう樹木が一本もなく、芝生も青々と根付くという、公園

を美しくし隊としては楽な夏でした。また、雨が多いとグラウンドの土が流れてしまうおそれもありましたが、6月にグラウンドの

西側面(傾斜の低い側)を全て芝生で覆っておいたことが土留めに効果を発揮しました。

2箇所目の木製花壇を造る

残暑も一段落した9月下旬に、園内の不要木材を再利用した花壇を、8の字歩道の丁度真中付近に造りました。木製の花壇はこの3

に東入口掲示板横に作ったのに続いて2箇所目となります。秋晴れの下、芝生グラウンドでサッカーを楽しむ小学生のみなさん公園

南側樹木の間伐について

公園の南端面の樹木は住宅と接していることから、園内のほかの部位に比べて繁茂している傾向がありましたが、今年春から夏にか

けて隣接する住戸にアンケートを行ったところ、茂り過ぎた木は刈ったほうが良いという意見が大勢を占めましたので、西部建設事

務所にお願いして全面的な間伐を9月に行って頂きました。 美しくし隊メンバーは平日は手入れができませんが、ご近所の園芸愛好

家の方が花苗の提供を申出られ、植えて下さっています。

名谷公園のような華やかな花壇に比べるとまだ地味ですが、今後も機会を見て花壇を増やしていこうと計画しています。

滝ケ谷公園での花植えをご希望の方はどうぞお申出下さい。

昭和初期に撮影された「滝ケ谷の滝」出典:「須磨ニュータウンの史跡」および「奥畑史」現在の地下鉄名谷車庫南側斜面(菅の台より

望む)。造成時に埋立てた部分だけが木が少ない。ここに「滝ケ谷の滝」があったと思われる

連載:「滝ケ谷」のルーツを探る〜滝ケ谷の滝

前回は「滝ケ谷」という旧地名が、この公園やユニバー競技場東の池(立入禁止)の名前等として散在していることをご紹介しました。

ところで、どうして「滝ケ谷」という地名が付いたのでしょうか。 北須磨文化センターの図書館に「須磨ニュータウンの史跡」(川口陽

之著)という昭和62年発行の本がありますが、この見開きに昭和10年ごろに撮影されたとされる「滝ケ谷の滝」が掲載されています。

この本では『滝の下に国立病院ができた』とされていますが、昔の地形図を見てもそれらしき水脈は見当たらず確信が持てませんでした。

そこでニュータウン造成前の様子をご存知の方にお聞きするしかないということで、お隣り名谷町奥畑地区にある、大歳神社秋祭りに出

かけました。ここで運良く同地区の協議会長をされている森田さんのお話を伺うことができました。森田さんによると、滝ケ谷池が奥畑

(当時)に流れ出るところに相当の高さの滝があった。この滝があった谷は今は埋立てられて地下鉄の車庫になっているということでした。

「滝ケ谷の池」の出口が滝であるということは自然で、実際今でも池の水面と奥畑地区に流れ出ている「滝ケ谷川」(僅か100mですが)との

間には10メートル近い高低差があるので、森田さんのお話が事実でしょう。

また旧奥畑村の歴史をニュータウン造成時にまとめられた「奥畑史」という本を森田さんに見せて頂きました。これによると、滝ケ谷の池

自体が数百年前に人工的に造られたため池だと書かれています。 池ができる前から滝があったのか、池ができたために滝ができたのかはわ

かりませんでしたが、ともかく、滝ケ谷の滝は本当にあったのだということが確認できました。

次回は、「奥畑史」より読取れる、滝ケ谷や神の谷に関係する歴史についてご紹介いたします。

昭和初期に撮影された「滝ケ谷の滝」 出典:「須磨ニュータウンの史跡」および「奥畑史」

次回は、「奥畑史」より読取れる、滝ケ谷や神の谷に関係する歴史についてご紹介いたします。

〜〜鳥の巣箱を作る会を開催します〜〜

公園を美しくし隊では、来る1116日(日)10時から「鳥の巣箱と木の名札を作る会」を開催いたします。子供さんでも、大人でもどな

たでもご参加頂けます。詳細は別途掲示する案内チラシをご覧になるか、右記連絡先までご連絡下さい。

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